哀愁の牛すじカレー

夜遅く帰る用事があるため、2日分のメニューをつくろうと思った日。
買い物に出るたびに私を誘惑してくる近所のカレー屋を見ると、その日は「牛すじカレー」がメインメニューのようだった。
牛すじカレー!ご馳走感があるじゃないか。夜遅くなる罪悪感だって和らぐメニューだ。
うん、これでいこう。
牛すじカレーを作って哀愁を感じているのだ。
さっそく肉屋さんへ行くと、店主のおじいちゃんは店頭で寝ていた。
数回声をかけるとお目覚めになり、巨大な冷凍庫から米俵のような牛すじブロックを取り出し、500gの肉塊を命を削って切り分けてくださった。20分くらいの間、ぼーっと立って待つしかなかったわたしは、この時点ですでに「なんか、本格的で大変なことをやろうとしている感」が盛り上がってしまった。
寄り道もせず家へ帰り、牛すじの下茹でを始める。
3回って書いてあったけど、2回。暑かったので少しズルをした。
そこからひたすら牛すじを煮ること数時間。玉ねぎも1時間くらい炒めてたんじゃないだろうか。
それなのに、それなのに。
牛すじカレーを食べた博士は、「うーん、牛すじ柔らかいね。いつものカレーと違って、牛牛した味がするね」という感想のみ。
「牛牛(うしうし)した味」というのは、美味しいという意味の範疇なのだろうか?
美味しい?と聞くと”美味しい”と答えるが、その表情が全くもって嬉しそうではない。
自分で食べると…まー美味しいと思うが、期待していた味とは何か違う。
何なんだ、何なんだ。
暑い中 肉屋でひたすら店主を眺めていた時間から、長時間にわたるスジ肉とのつき合いまでが、フラッシュバックのように蘇る。牛スジカレーに寄せていた、喫茶店を思わせる香り・どっちかっていうとヨーロッパよりの優雅なカレー、といったイメージが儚く消えていく。
わたしは、どうしようもなく哀愁を感じた。
参考にさせて頂いたレシピ
牛スジの下処理から分からなかったので、いくつかのレシピをパラパラみてシンプルで上品だな、と思ったこちらのレシピを参考にした。
ただし、よく考えたら以下の点でサボったりアレンジをしたりした。
・圧力鍋がなかったので、ストウブで数時間スジを煮込んだ
・玉ねぎチンが面倒に感じ、大量の玉ねぎをひたすら弱火で炒めた。1時間ほどたっても飴色にはならず、後悔しつつ中途半端な色(白っぽいキツネってとこか)で断念
・他のレシピで見た「赤ワインを1本使って大胆に煮る」だけを採用。すじ肉を赤ワインで煮込んだ
・ルーが足りない気がして、味噌をレシピの5倍くらい入れた
・そうだ、バターもカロリーが気になりオリーブオイルへ代えた
なぜ思った味にならなかったのか?考察してみる
参考レシピが悪かったのではない。
当初「シンプルで素材の味が美味しい」を目指していたのに、食べるときにはナゼか「香り高い、喫茶店やレストランぽいカレー」を期待していたのだ。
冷静に振り返ると、味噌由来の酸味がかなりキツかった。
すじの味噌煮込みが大好きなので、味噌はいっぱい入れてもいいかなーと思ったのだが・・赤ワインとの相性が悪かったのかもしれない。香り高いカレーを目指したはずが、味噌頼みになりすぎた感じか。
また、香り高さを演出するのにバターは重要だったかもしれない。東京カリー番長の水野さんだって言ってたじゃないか。うちカレーを香り高くするのにバターやスパイスは大事って。
「シンプルさ」に拘って、クミンやカレーパウダーを足すこともしなかったな・・
あと、にんにくやフルーツペーストなど、もっとほんのり甘みを添えたかった。大量の玉ねぎで甘みは十分と思ったが、やはり最終的な微調整は必要なのかもしれない。好みがあるしね。
まとめ
トロトロの牛すじカレーは、なんだか特別に美味しくしたい。
「うはー、喫茶店のカレーみたい!ヽ(≧▽≦)ノ。+。゚☆」っていうカレーを目指したい。
悔しいので、上記反省点をふまえたリベンジ案件とする。
PS:お肉屋さんへ
もしこのブログを見てらしたら、スジ肉をいい感じで小分けにしといて下さい。また買いに行きますんで、よろしくお願いします。